Laguiole村について

Pronunciation
 

「LAGUIOLE」の発音については、フランス南部では「ライヨール」、フランス北部では「ラギオール」と発音し、いわゆる方言といった感じ。
フランス全土から上京してくるパリでは「ライヨール」と「ラギオール」の両方が混在する。

 

歴史
 

14世紀からフランスのティエールでは刃物産業が始まり、18〜19世紀には刃物文化の中心地として発達をしていた。
同じ18世紀ごろ、標高1000〜1500メートルの山々に囲まれたラギオール村では、冬になると農作業ができなほど雪が降るため、スペインへ出稼ぎに向かい、帰りには美しいポケットナイフをお土産に持ち帰る習慣があった。(スペインから持ち帰った金属製のナイフが、実はラギオールナイフの原形ではないかという説もあります。)
日用品として使用されていたナイフは、非常に簡素なものだったが、ラギオール村の牧童たちにとっては第3の手のようなもの。ナイフなしには1日たりとも過ごせなかったという。牧畜の仕事はもちろん、1日の仕事を終えて神に祈るとき、十字架の代わりにナイフを大地に刺し、深く頭を垂れていた。
1829年にライヨール村に生まれ育った1人の少年が、村の名産ともいえる水牛の角をナイフのハンドル部分にあしらったのが「ラギオールナイフ」の最初とさせているが、彼は刃物を作る職人ではなかったため、数点のみのナイフを作っただけで産業までには発達しなかった。

昔からライヨール村は酪農が中心で、刃物製造産業が無かったことから少年の開発したライヨールナイフは、19世紀末ごろティエールで製作されるようになった。この頃、村の過疎化がどうしようもないほどに進んでしまい、農業や牧畜を捨てて都会へ行く人々は土地の折り畳みナイフをお守りのようにたずさえていったという。

 

ソムリエナイフの誕生
 

ラギオール村からパリへ移住した人々の中には、なぜかカフェの経営で成功した人々が多い。
パリで最初のカフェといわれる「カフェ・コスト」やサンジェルマン・デ・プレの「ブラッスリー・リップ」などの有名カフェを興したのはこの村の出身者達である。彼等がワインの栓を抜いたりパンを切ったり、と仕事の道具として使ったのが村から大切に持ってきたナイフだったのである。

ときは移り1985年、絶滅の危機にひんしていたラギオール村のナイフ作りの伝統を見直し守っていこうと、村出身のカフェのオーナーら5人の若者が「ライヨール・ナイフ協会」を設立。1987年にはフィリップ・スタルクをデザイナーに迎え、村の倉庫跡地に部品から完全一貫製造をする「フォルジュ・ドゥ・ライヨール社」が産声をあげた。
※ライヨール村には沢山のお土産屋があり、さまざまなライヨールナイフが販売されていますが、ライヨール村でパーツから組立てまで一貫生産しているメーカーは少なく、フォルジュ・ドゥ・ライヨール社もパーツは外部から、組立てのみとなっています。(2011年現在)

1993年、フランス随一といわれる名ソムリエ、ギー・ヴィアリス氏が本格的なソムリエ用ナイフを作りたいと熱望した。
ラギオールの村からやってきたカフェの主人達が持っていた美しいナイフを思い、ワイン専用ナイフの製品化を進めていったが、元々ラギオール村には刃物産業が無かったために、ヴィアリス氏は刃物産業の一大中心地、オーベルニュ地方のティエールにあるナイフビルダー、1850年創業のスキップ社を訪ね、共同で開発に取り組んだ。
数カ月の試行錯誤のうえ、ついに完成した「シャトーラギオール」は、1993年にボルドーで開催されたVINEXPO(ワインを主とした世界規模の展示会)でお披露目され、来場者に大きなインパクと与えた。(日本には1994年10月から輸入が始まる)

それから1〜2年ほど後の1995年頃、「フォルジュ・ドゥ・ライヨール社」がフィリップ・スタルクデザインのソムリエナイフを発表。
ティエール産「ラギオール」とフォルジュ・ドゥ・ラギオール産「ライヨール」という図式はこうしてでき上がった。
よく見比べば細部のデザインや作りはまったく違うのだが、一見した雰囲気があまりにも似ていたのだ。
ソムリエナイフの分野では、すでに「シャトーラギオール」は確固たる地位を築いており、トゥール・ジャルダンをはじめとする名だたるレストランのソムリエや、世界ベストソムリエ達がこのナイフを使っていた。

そこへ、フランス歴代大統領やあのジャック・イヴ・クストー船長(フランスの海洋学者。アクアラングの発明者でもあるそうです。)らも所持し、国民的ナイフのメーカーとして名をなしていたライヨール社が殴り込みをかけた格好になったわけである。


ではシャトーラギオールライヨールソムリエナイフを比較してみましよう。

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